2016年5月22日日曜日

校歌を考える(その2)   H28.5.22

〜創立五十五周年記念誌より〜

第二節
校基鎮まる 老女子(おいなご)の里
理念(おもい)は澄める しだの月
 老女子の里は、一宮市街の西南に位置する一地域で、
 志田先生が特にこの地を選んで住居を構え、
 この地を愛してその生涯を終わり、
 その骨を埋められたところである。
 先生は、非常に地性の高い合理主義者であったので、
 先生の風格を赤き情熱に象徴される太陽に比して
 澄み透った理性を象徴する月になぞらえ、
 当校教育精神の根源を詠ったのである。

光りかがやく 名と誉れ
担い立つ 尚(たか)き責任
 学校設立代表者たる田中周、渡辺脩三、宮重謙輔、
 三氏を始め一宮町の有志、
 県内外の知己識者がこの学校の上に注がれた
 厚意と協力とは、多難なる成長過程を経て今日に至るを
 得た当校として、忘れ難きものである。
 また、創立以来、
 多くの教職員、生徒諸君が、一致協力して学校のために
 尽した献身的な努力は、なみなみならぬものがあった。
 これらの諸力が凝って、
 今日の当校を光輝あるものとしたことを思えば、
 実に艱難辛苦は汝を玉にすと言われるごとく、
 この学校の名を高め、栄光を誇り示しているのである。
 しかして、この誇り、この栄誉こそ、
 現在及び将来の当校が持ち続け、
 よりよく発展せしめていかなければならぬものである。
 これは、崇高なる責任であり、当校に学ぶ者の
 生甲斐である。
 校訓の責任という句はここで、栄光ある現実と
 一致するのである。
 責任の本義は、 これもカントが教えているごとく
  「団体の一員として、
  その団体の目的を果たし得る如く行動せよ」
 ということである。

使命に燃えて 学ぶ我等
 したがって、この責任を自覚すれば、必ず使命感を持って
 学ばずにはおれないことを現して第二節の結句とした。